写真をアップするブログとして、写真をやっていると一度は必ず考えることがあるであろう「写真の加工と編集」についての考えを、現時点の私の考えとして書いてみようと思います。賛否両論あるこの議題ですが、あくまで山の写真をメインに写真を楽しむ私個人が現時点で考えていることなのでご了承ください。
【1、写真加工の「アリ派」「ナシ派」ってどうなの?】
《個々の表現や考え》
写真をある程度やっていると必ず突き当たるであろうことに「写真の加工と編集」があると思う。それについてよく「写真加工アリ派」と「写真加工ナシ派」など意見が分かれることがある。しかし、それってそもそもオカシイと感じてます。
写真は撮る人それぞれに考えがあって、その人の表現したいものや瞬間なども撮影者それぞれで違う。そういったなかで「アリかナシか」という2つの両極端に分かれるということは違和感でしかない。
《好きにすればいい、…がしかし》
写真は撮る人がマナーを守って好きに撮ればいい。なので極論を言えば、加工しようがしまいが好きにすればいいのだ。カラー写真をモノクロにするのだって、何枚かの写真をパノラマに合成するのだって加工だし編集だ。
だが、それだと正論のように聞こえが、よく考えるとそれを言ってしまえば何でもOKだってことにもなってしまうと思っている。なので、そういった部分を含めて自分なりに考えを整理して私なりの現時点での1つの考えを書こうと思う。
【2、現像を誰がするのか】
《JPEGとRAW》
私は先に述べたように極端に写真の加工や編集がアリかナシかを言えば「アリ」だと考えている。しかし、誤解せずに最後まで読んでほしい。あくまで極論を言えばだ。
写真を撮るとき多くはRAWかJPEGかのどちらかであると思うが、あとで加工や編集をする人はたいていはRAWだと思う。逆に撮って出しでもいいやって人はJPEGだったりもすると思う。
しかし、ここでよく考えてほしい。
JPEGというのはカメラ内で現像をしてしまうということ。カメラを作ったメーカーや設計者の人たちが思う色や表現などをカメラの中で処理してJPEGとして出している。カメラやメーカーによって色は違うし各社そこにこそ特徴がある。
逆に、加工や編集を自分でする人たちはRAWとしてデータを撮って、カメラ内で現像をせずにPCなどに取り込んでLightroomなどの現像ソフトで自分で行う。
《現像を自分でするか、カメラに任せるか》
つまり「現像をカメラに任せるのか、自分でするのか」というのが大きな違いとしてあるということ。それを考えると加工や編集を行うことは決して悪いことではなく、現像を自分で行うことで写真を撮影することだけでなく現像の部分にも自分なりの個性や表現を出すことができるということだ。
そこら辺の理由から私は加工や編集自体は問題ないと思っている。どうせなら撮影から現像まで自分で行うことでより自分らしく写真を表現したほうが楽しいのではないかとも思っている。
【3、しかし、違和感を感じることがあるのはなぜか?】
《感じる違和感》
ここまで写真の表現の自由と、現像という作業をカメラに任せるのか自分でやるのかという話から、加工や編集は悪いことではないということを述べてきた。
しかし、ここ最近ものすごく違和感を感じることがある。写真の表現は人それぞれだとわかっているにも関わらず、それを超えて感じる違和感とは何なのだろう?
やりすぎた加工まみれの風景写真、見た瞬間に加工したとわかる山岳写真などに感じる違和感は何なのだろうか?
《やり過ぎているからではない。何かが違う…》
最初のうちは過度の加工や、やり過ぎた編集が原因ではないか?と思っていた。明らかに明瞭度を弄り過ぎて草木がソフトになり過ぎた写真、カスミ除去のやり過ぎておかしくなった空、CGのような風景、幻想的すぎてもはや違和感しかない花や山肌 …などなど、要は加工をやり過ぎているものに違和感を感じると思っていた時期がある。でも、どこからどこまでがOKなのかもわからないし、写真それぞれによって違和感を感じにくいものもあれば、強烈に違和感として感じさせるものもある。
1つの要因ではあるかもしれないが、「やり過ぎ」が違和感の正体ではない気がする。
では、何が原因なのだろうか?
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